自分らしい生き方を求めて、東京から砺波にUターン
佐藤鉄工所
佐藤 丈寛さん
砺波市では、毎年6月に
「となみ夜高まつり」が開催されています。
2010年に東京からUターンした佐藤丈寛さんは、
お父様が代表を務める
「佐藤鉄工所」の社員として働きながら、
その祭りに精力的に参加。
夜高まつりを盛り上げるための団体
「夜行会(やこうかい)」の会長を務めた経験もあります。
「となみ夜高まつり」の魅力は、木材や和紙でできた美しい行燈山車「夜高行燈(よたかあんどん)」を見られることにあります。この行燈は、砺波市の各町内ごとに町民の手によって作られているのが特徴です。
「夜行会」は、今から10年前、町内の垣根を越えて、となみ夜高まつりを盛り上げるために結成されました。20〜30代の若者が集まった団体で、今は約30名で構成されています。
「通年で展示ができる夜高行燈を、2年半かけて作り上げました。今は行燈を組むときにクレーンを使うのですが、今回は台を倒して心木といわれる木の棒に行燈を刺していく昔ながらの組み方にしました。台にはケヤキ、車輪には鉄を用いて、各町内の行燈にひけを取らないものづくりにこだわりました。ちゃんとした夜高を作りたかったんです」。
「となみ夜高祭り」は、五穀豊穣や豊年万作などを祈る田祭りとして発展してきました。その歴史は古く、佐藤さんが生まれた頃には、すでに定着していました。
「小学校の時からずっと夜高に関わっていて、社会人になってからも毎年東京から帰省して参加していました。会社では半期に1週間休みを取れたので、その休みを全部夜高にあてていたんです」。
町民の手で作り上げていく夜高行燈。その製作期間は、約3ヵ月もの時間を要します。
「僕は、夜高を作ることが好きみたいですね。下から見たアングルを意識して、3DのCADで図面を書いてから作成していきます。最近は、いい賞をとれているんですよ。あと、3ヵ月も町内の人たちと一緒に製作するので、夜高に参加すると知り合いが増えるんです」。
祭り初日には、約15基の大行燈が勢揃い。その壮大な眺めも大きな魅力です。
「昔は、今のように行燈が一列に並ぶことがなかったので、全然見られない町内の行燈もありました。なので、今の子どもたちの方が夜高にすごく触れているんじゃないかなと思います。獅子舞や浄瑠璃など伝統文化を紹介する「となみ伝承やぐら大祭」では、夜行会から夜高行燈を出したのですが、子どもたちが何人も乗って喜んでいました。子どもたちも本当に夜高のことが好きみたいですね。その思いが、ずっと受け継がれていくといいなと思っています」。
佐藤さんは「夜高」に情熱を注ぎながらも、お父様が代表を務める「佐藤鉄工所」の社員として、製紙会社の大きな機械の修理・メンテナンスに日々取り組んでいます。以前は、東京の金融系の会社に勤めていましたが、ふるさとへの憧憬からUターンしました。
「当社の特徴は、機械の修理をするだけでなく、製品も作れること。その2つが一緒になっている会社は少ないので、これからは新しい製品を作ることにより力を注ぐことで、他社との差別化を図っていきたいと思っています」。
Uターン後、今の仕事を一から学んだ佐藤さん。現在は、お兄さん、職人さんとともに修理や製造に力を注ぎながら、こだわりを持って仕事に向き合われています。
砺波にUターンして約6年、「帰ってきてよかった」と微笑む佐藤さんに、砺波の良さと移住を考えている人へのアドバイスをお聞きしました。
「砺波には、他から来た人を温かく受け入れるところがあると思います。飲みに行ったら、消防団や青年会議所、商工会議所青年部に誘われたりと、仲間に入れようとしてくれるところがうれしいですね。夜高に関して言えば、製作に関わることで園町内の人たちとひとつになれるところがあります。移住を考えている方もそうですが、Uターンで戻られる方は、ぜひその町内の行事などに積極的に参加して地域の人たちと仲良くなることで、都会では味わえない温かい暮らしができると思いますよ」。
佐藤さんは、1度砺波を離れたからこそ、ふるさと砺波の良さを再認識し、自分の人生にとって何が1番大切かを、自然と感じ取れたのかもしれません。誰にとっても、自分らしく生きられる場所が、きっとあるはず。
砺波には、自分を正直にさせる、人間味あふれる暮らしがあります。
プロフィール
佐藤丈寛(さとう・ともひろ)
1983年、砺波市広上町出身。小学校から高校まで富山県内で暮らし、大学進学のために千葉県へ。大学卒業後、東京の金融系の会社に就職し、システムを担当するが、2010年にUターン。佐藤さんの父親が代表を務める(有)「佐藤鉄工所」の社員となり、現在に至る。2016年度「夜行会」の会長を務める。